1543年から1639年にかけて日本の南部、および中央部にポルトガル人が長期的に滞在したのち、1860年の日葡和親条約、および日葡修好通商条約がポルトガル国と江戸幕府によって調印されたことで、はじめて両国の外交関係が正式に樹立されました。

第二次世界大戦の開始、そして日本軍によるチモールの占領は日葡間の二国間関係を一時的に断絶させました。しかし、1953年に国交が回復し、同年にポルトガルが、翌1954年に日本が公使館を再開しました。

日葡関係は、あらゆる部門における二国間関係を深化させようと努力した両国の努力によって進展してきました。そしてそれは、国際機関の枠組みにおける関係によってさらに強化されました。

1993年、日本へのポルトガル人到着450周年を記念して、高円宮親王のポルトガルご訪問やマリオ・ソアレス大統領の日本訪問を中心とするさまざまな行事が催されました。

日本には、種子島の鉄砲祭や堺の南蛮祭など、双方の国民の初めての出会いにゆかりのある土地を中心に、さまざまな伝統文化行事が日葡間の歴史的関係の記録を今に残しています。

日葡両国はいくつかの自治体間で姉妹都市協定を結んでおり、青年、経済・文化関係者、著名人などのレベルでの交流の促進において特別な関係を構築しています。

1974年には、外交文書による協定をもとに、相互の国民の査証の廃止の原則が合意されました。

両国要人の公式訪問においても、長い年月を通じ、意義深い相互交流の成果が上げられてきました。1993年10月には、マリオ・ソアレス大統領が日本を国賓として招待されました。また、日本の多くの首相がポルトガルを訪問しています。1998年のリスボン万博の際には、天皇、皇后両陛下がポルトガルをご訪問され、また、2004年には、徳仁親王殿下もポルトガルをご訪問されています。

ポルトガルは1970年の大阪万博、および2005年の愛知万博に参加し、後者にはジョルジェ・サンパイオ大統領も視察に訪れました。

ポルトガル語、ポルトガル文化の領域では、現在、日本にはポルトガル語学の学士課程を授与する大学があります。そこで学ぶ学生数を合計すると、約1000人に上ります。それら以外の数多くの大学でも、ポルトガル語が第二外国語または選択外国語として教えられています。